真宗は、「念仏を称えて浄土に往生させていただく教え」です。
ところが、念仏を称えてもなかなかよいことはなく、ましてや浄土に往生させていただける実感は
湧かないのではないでしょうか?
私たちがなかなかわからない原因は、私たちの意志とか努力とは
関係なく、浄土に往生することが決定されているからです。
仮に、「地獄に落ちてもよい」と思っていたとしても、私たちは必ず浄土に往生することが決定(必定)しています。
もしくは、それを浄土に生まれるべき身と定まった仲間の数に入ること、と言います。
なかなか素直に信ずることはできないかもしれません。しかし、そのように信ずることのできない
わが身にこそ、阿弥陀さまの大悲の願いがかけられているのです。
仏さまの存在を疑ってばかりいるわが身に仏さまの悲しみの心が
注がれている歓びを感じながら、私たちの方からも念仏を称えていきましょう。
そのような自力のこころも、阿弥陀さまの願いに呼び
覚まされながら、さらに他力の念仏に転じて深まっていくはずです。
当山、慶栄寺におきましては、毎月、聞法(もんぽう)会を開催して、
皆様と共に「ただ念仏」の「ただ」という世界に触れていただきたく思っています。ぜひご参加下さい。
(令和2年3月)