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5月16日、17日 講座を中止します。

2021/05/12

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  • 法話

12日に緊急事態宣言が出されました。

東別院会館も使用禁止になり、5月16日、真宗セミナー中止にします。

5月17日、お寺の法話会も中止にします。「念仏法語」の資料、アップします。

 

人間に生まれたことは、大きな喜びである。
身はいやしくとも畜生に劣らない。
いかに貧しくて食うものも碌々ないと言っても餓鬼道より優っている。
心に思うことかなわなくても(どんなに苦しいことが押し寄せてきても)
地獄の苦しみには比べることができない。
人間世界は住みにくい境涯ですから、世を厭う拠り所(たより)です。
人の数にも入らない卑しき身はさとり(菩提)を願う大精神(しらべ)である。
世をいとう→菩提をねがう→人間に生まれたことを喜ぶ→本願に遇う

信心浅くとも、本願深きがゆえに、頼めば必ず往生する。
念仏が何となく嫌だ(もの憂)けれども称えれば、常に来迎にあずかる。
功徳莫大である。このゆえに本願にあうことを喜びなさい。

妄念はもとより凡夫の地体である。妄念の他に別の心もない。妄念=凡夫
臨終におけるまで一向に妄念の凡夫にてあるべきと心得て、本願を頼んで
念仏しなさい。そうすれば、常に阿弥陀仏のお招き(来迎)を受けて、浄土の
蓮台に乗る時にこそ、妄念をひるがえしてさとりの心となるのである。
妄念の中(うち)より申し出て来る念仏は、泥のような我々の生活の底から、
美しい蓮の花が咲くように往生が決定することは疑うことはできない。
妄念を厭わないで、信心の浅きことを歎きて、こころざしを深くして常に
名号(南無阿弥陀仏)を称えなさい。

ちまたでは、よく終活セミナーが行われています。人生の終わりを迎えるにあたり、もう一度「人間に生まれてきた意味」を考えてみませんか?
人間に生まれてきたことは、普段何気ないことですが、そこには大きな喜びがあります。数々の人生における出来事を通して、この娑婆で生きていかなくてはならなかった苦悩を知り
「娑婆を厭いて悟り(菩提)に向けた浄土を願う。」
その浄土を願うことが本願に出遇い、ただひたすら念仏を称えることです。

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