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5月7日の法話会、資料公開します。R2.5/11

2020/05/05

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解脱の光輪きわもなし(無辺光) 光触かぶるものはみな
 有無をはなるとのべたまう   平等覚に帰命せよ

悟りを開き仏になる(解脱)光の輪はかたよりがない
その光に触れるものはみな有無の邪見を離れるとお説きになる。
一切平等の悟りを開いた仏(平等覚)に帰命しなさい。

光輪―シャボン玉のような光の輪の真ん中の中に入り込む(如来に包まれる)
<かたよりのない光(無辺光)ー常に光の真ん中で、光をあびることができる>
そのような状態で光に触れると、有るとか無いという意識を離れる。
★本来、無いという言葉は、有るものが無いと表現されている。たとえば、「ここに牛はいない」と言う時、牛という動物がこの世に有るが、ここにはいない、と有るものがいない、と使われている。私たちの思議を 超えていく言葉を「有無を離れる」と説かれる。
不可思議の世界である。

光雲無碍如虚空(無碍光)  一切の有碍にさわりなし
 光沢かぶらぬものぞなき  難思議を帰命せよ

如来の光明は、雲が空を満たして何物にも邪魔されないように、何ものにも
妨げられることなく一切に及び、光に当たる故に智慧を受けないものはない。
心の及ばない難思議というはかりがたい仏の智慧に帰命しなさい。

★私たちの人生に障害があったとしても、そのままで乗り越えていける。
仮に積極的に生きることができず、落ち込んだとしても落ち込むままに前向きに超積極的に生きることができる。
たとえば、前に進むことだけが積極的ではなく、時には後退することも、
よい方向に進むのであれば超積極的になるのではないか。
悪を転じて徳を成す正しい智慧をいただくことになる。

 悪を転じて徳としていける、障害のない(無碍の)人生を歩む時、心の及ばない難思議という仏の智慧に触れている。

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