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6月3日、東別院真宗セミナー・7日慶栄寺法話会、中止!(資料公開します)

2021/06/02

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6月20日まで緊急事態宣言が延長されましたので、

今回も中止にします。また、お寺の法話会は今月zoomで考えています。

また、連絡します。和讃「弥陀大悲の誓願を~」資料を公開します。

 

弥陀大悲の誓願の      ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく  南無阿弥陀仏をとなうべし
(かわりなく)
弥陀の誓願―信心がまことのものになっておられる方は、弥陀の誓願の利益にあずかり、摂取して捨てられないので、来迎臨終を待つ必要がない。(『末灯鈔』聖典P608)
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて~すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり (『歎異抄』第一章 聖典P626)

★弥陀の誓願・弥陀の(大悲)誓願→二つは同じ意味だろうか?違いはあるのか?

大悲―願土にいたればすみやかに  無上涅槃を証してぞ
すなわち大悲をおこすなり  これを回向となづけたり(天親和讃P491)
■大慈は菩提を求める自利の意が強いから往相に属する
往相回向の大慈より   還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば  浄土の菩提はいかがせん(正像末和讃P504~5)
■大悲は人々を化益する利他の意が強いから還相に属する(金子大栄)

●人生が思い通りにならないことばかりで、如来の願いを感じられますか?
還相回向のはたらきまでわからなければ、如来の大悲は感じられない。
深く信ずる人→安易に「如来の大悲」と言う言葉を使うことはできない!
  
聖道門のひとはみな    自力の心をむねとして
他力不思議にいりぬれば  義なきを義とすと信知せり

聖道門だけでなく、浄土門の人も定散という自力の心を根本(むね)としていないか?

(法爾は)すべて、人のはじめてはからわざるなり。このゆえに、他力には義なきを義とすとしるべきなり~
弥陀仏は自然のようをしらせん手だて(りょう)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに論議(さた)すべきにあらざるなり。つねに自然を論議(さた)せば、義なきを義とすということは、なお義のあるようになるべし。これ<自然(他力)>は、仏智の不思議(私たちの理解を超えている)にてあるなり。(『末灯鈔』聖典P602)
信知―「信」というは金剛心なり。「知」というは、しるという。煩悩悪業の衆生をみちびきたまうとしるなり。(『一念多念文意』聖典P545)

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