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4月16日、真宗セミナー「阿弥陀経」資料配信 R2.4/27更新

2020/04/14

  • 法話

16日の真宗セミナーはコロナウイルスのため中止にしました。

「阿弥陀経とは」の資料をネット公開します。講師は佐治真さん、31歳の青年です。
彼のように、私の子供と同じ世代の若い方が講師をして下さることは感激です。

 

長い文章が苦手な方は、太字の文章だけお読みください

 

『阿弥陀経』とは (佐治 真)

『仏説阿弥陀経』の次の行に「姚秦の三蔵法師鳩摩羅什、詔を奉りて訳す」という言葉があります
この部分は、僧侶が読誦する際、経本には記載されていますが、普通は読誦せずに進んでいきます。
私たちは読誦しないということで、あまり重要なことが書かれていないのではないかとついつい考え、無意識に読み飛ばしてしまいますが、決してそうではありません。
ここには何が書かれているかというと、『阿弥陀経』がいつの時代に、誰が翻訳してくださったのかということが書かれています。

阿弥陀経は、三蔵法師である鳩摩羅什(くまらじゅう)という方が、インドの言葉で書かれた『阿弥陀経』を中国の人々にもわかるように中国の言葉へ翻訳した経典というわけであります。
上記の三蔵法師とは、三蔵(お釈迦さまの説教を集めた経蔵、お釈迦さまの制定された生活規範を集めた律蔵、お釈迦さまの弟子たちが教説を論述した論蔵)に精通した僧侶、また、経典を中国の言葉に翻訳する仕事に従事した訳経僧の尊称であります。

三蔵法師で有名な方は、『西遊記』で馴染みの深い玄奘(げんじょう)三蔵ではないでしょうか。玄奘三蔵は、唐の時代、仏教をより深く学ぶため、国禁を犯してまでもインドへの遊学を志し、砂漠や盗賊や寒さに襲われ、さまざまな困難を克服してあしかけ19年の大旅行を行いました。その大旅行の記録が『大唐西遊記』であり、『西遊記』は後にこれをモデルに書かれた物語であります。
『阿弥陀経』の翻訳者、鳩摩羅什の訳文は、「深い意味や深意を円満にして十分に満ち足り、調子がなめらかで美しい優雅な文章」といわれ、以後の東アジアの仏教に絶大な影響を与えました。

阿弥陀経の内容をあまり知らない私の母が、ある時「阿弥陀経は聞いていて心地が良くて、好きなの」とつぶやいたことを思い出します。
また、私自身も幼い頃に『阿弥陀経』を聞いた時に、テンポの心地良さや言葉の繰り返しの格好良さを感じたことを今でもはっきりと覚えています。
やはり鳩摩羅什という方の翻訳した『阿弥陀経』には、人を惹きつける「響き」のようなものがあるのでしょう。
私たちはまず、そのような方々のご苦労があってこそ、今『阿弥陀経』に出遇わせていただいていることを忘れてはいけないと思います。(蓮慶寺衆徒 佐治 真)   R2.4/20

⚫︎六成就の中の「処成就」 祗樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)とは?

六成就(または六事成就とも)とは、そのお経がまさに仏説、お釈迦さまが説かれた経典であるということが成立(証明)されるための根拠、条件であります。
信成就、聞成就・時成就・主成就・処成就・衆成就の6つがあります。『阿弥陀経』では、「如是(信成就)我聞(聞成就)。一時(時成就)仏(主成就)、在舎衛国祗樹給孤独園(処成就)、與大比丘衆〜大衆倶(衆成就)」に分類されます。

六成就のうち、そのお経が説かれた場所である「処成就」に注目してみますと、『阿弥陀経』では「舎衛国の祇樹給孤独園」がお釈迦さまの説法の舞台となっています。
祇樹給孤独園とは、『平家物語』に出てくる有名な祇園精舎のことであります。祇園精舎建立にはある一つの有名なエピソードがあります。

当時、須達多(スダッタ)という方がおられました。この方は、親のいない子ども達や、一人住まいの老人達に対する救済活動を行う長者で、人々から給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)と呼ばれていました。
須達多がある時お釈迦さまのお話を聞き、大変感動され、お釈迦さまのお話を人々にも聞いてもらえるように土地を寄進したいと思われ、どこかにそれにふさわしい場所はないかと探しておられました。そこで見つかったのが、祗陀太子(ギダたいし)という方の所有する樹林でした。それで祗陀太子に樹林を譲ってくれるようにお願いします。すると祗陀太子は、「それなら欲しいだけの土地に金貨を敷き詰めたならばその分を譲ろう」と、非常に意地悪な返答をします。
須達多は本当に金貨を敷き詰め始めました。その姿に祗陀太子は大変驚き、「分かりました、それでは一緒に寄進をしましょう」ということで、二人が協力して開かれた場所が祗樹給孤独園であります。「祗樹」(ぎじゅ)とは、祗陀太子の樹林という意味で、「給孤独」(ぎっこどく)とは、須達多が呼ばれていた給孤独長者の名からきています。そして、そこに建てられた精舎、建物が祇園精舎であります。

そこで、『阿弥陀経』はなぜ祇樹給孤独園で説かれることとなったのか。祗樹給孤独園がお釈迦さまの説法の場として選ばれたのはどういう意味があるのでしょうか?
それは、祗樹給孤独園が「孤独」な方々が集う場であるということが関係しているように思います。
ここで、「孤独」について考えてみたいと思います。「孤独」ということで非常に記憶に残っていますのが、宮城顗先生著『人と生まれて』の中で「言葉のキャッチボール」について書かれているところです。

そこではある姫路で理髪業をなさっていた田中裕三さんという方のお話が紹介されています。この方は、癌で亡くなられたのですが、周りの友達や家族から支えられて、最後まで前向きに生きられた方だったそうです。
田中さんが亡くなる一週間前に東大のお医者さんから、「自分たちは末期癌の人たちの気持ちがよくわからない。来て話を聞かせてくれないか」と依頼され、東大でお話をされたそうですが、そのときの田中さんのお話の中で語られたのが「言葉のキャッチボール」についてです。

私たちでもキャッチボールさえしてもらえれば、生きていけるんです。例えば、私たち患者がアーとため息をつく。つらいと言う。それは、こちらからボールを投げたのです。そうすると先生方は励ますつもりで、「がんばれ」とだけ言うときもあれば、「みんなも我慢しているのだから、お前も我慢しろ」とか、「お前はなんでもない」とか言われる。そうすると自分が投げたボールを途中でたたき落とされたような気がする、ものすごく寂しい。そうじゃなくて「つらい」と言ったときに、まず「ああ、つらいか」と投げたボールをきちんと受け取ってほしい。そしてそのボールを受け止めてから、今度は「どこがつらいんだ」と聞いてほしい。つまりボールを投げ返してもらいたい。こうして会話を続けてもらうと、自分はまだ見捨てられていない、見放されていないということが実感できる。そのように実感できるときに、まだ人間として生きていけるという気持ちが出てくる。

私たちは、今日、いろいろな人間関係の中でキャッチボールができなくなっているのではないでしょうか。家族関係にしても、キャッチボールがなく、一方的なあり方をしてしまい、言い争いや批判ばかりで、本当に分かり合うということはできていないでしょう。それに気がつくこともなく、自分の考えや意見は間違いないのだという生き方は、キャッチボールどころではありません。
『阿弥陀経』は、現代の孤独にしか生きることのできない、迷いの中を生きる私たちにこそ説かれる必要性があることを伝えてくださっているように感じます。 (佐治 真)R2.4/27

 

対告衆(聞き手)の舎利弗は、お釈迦さまよりも早く亡くなっています。お釈迦様が舎利弗に一方的に説かれましたから、無問自説経と言われます。先に亡くなる舎利弗に、「浄土があるから恐くはないよ」、と説かれたと考えると、改めて極楽浄土の大切さが知らされてくるのではないでしょうか。藤秀璻先生は「涅槃経」に匹敵すると言われています。

 

 

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